「蟻の自由」(古山高麗雄)

わずかに残された「人間としての尊厳」

「蟻の自由」(古山高麗雄)
(「日本文学100年の名作第6巻」)
 新潮文庫

少年のころ僕は、
家の庭を這っていた
蟻を一匹つかまえて、
目薬の瓶に入れて、
学校に持って行って
放したことがあるのです。
そして僕は、蟻にとっては
気が遠くなるほどの長い旅を
空想しました。
今の僕は、
あの蟻に似ている…。

なぜ「僕」は自分がその「蟻」と
似ていると感じているのか?
それは「僕」が自分の意志に関わりなく、
南方派遣の輸送船に載せられ、
日本を離れた遠い戦線へと
送り込まれたからなのです。
本作品は、書簡の体裁を取った
「僕」による戦争日記なのです。
それもすでに亡き妹への、
送られるあてもなく、
紙に綴られることもない、
空に帰すだけの虚しい手紙です。

だからこそ、その内容には
いささかの誇張もなく、虚飾もなく、
ただ事実だけが
淡々と綴られていくのです。
そしてその文章は、簡潔ながらも、
戦争(を企てる人間)の愚かさ、
戦争(に従事せざるを得ない人間)の
悲しさ、
戦争(を遂行する軍隊)の無慈悲さを、
鋭く告発しています。

戦争は遠い昔の
出来事だったはずですが、
海を隔てた彼の地では、
ここに書かれてあるようなことが
未だに繰り返されているのでしょう。
人間の英知とは
かくも矮小なもなだったのかと、
驚きを禁じ得ません。
戦争や平和について関心の高い方には、
ぜひ本作品を
読んでいただきたいと思います。

さて、私が感じたのは、
その抑圧された環境の中にあって、
「僕」がひっそりと守り通している
「人間として遺された最後の尊厳」です。
「僕」は戦争に反対することも、
任務を放棄することもできません。
軍隊にあってはそれは
死を意味するのですから当然です。
しかし人間性を捨てて
軍隊の一部になっているわけでは
ありません。

「僕は、遠くに運ばれてしまって、
 去年の十一月に死んだ佑子に
 手紙を書き続けている蟻。
 鉄砲を持って、
 みんなと一緒にいるけれども、
 戦争をする気のない蟻。
 僕は、そういう蟻になれるのです」

身体も行動もがんじがらめに
縛られているけれども、
魂は自由である。
自身にわずかに残された
「人間としての尊厳」を
大切に守ろうとする
固い意志が見られます。
それは脆弱であるものの堅固であり、
弱小であるものの崇高であり、
細小であるものの豊穣な
精神のあり方だと思うのです。

作者・古山高麗雄は1942年、
南方戦線へと配属され、
ラオスの俘虜収容所送りとなります。
終戦後も戦犯容疑者として
裁判にかけられ、
禁固刑を受けています。
本作品は、戦場という地獄の中で、
自身が見つけた
人間としての精神のあり方を、
作品として昇華させたものに
違いありません。

人間の本質を突く作品を
数多く著しながら、
古山高麗雄の著作のほとんどが
残念ながら絶版状態となっています。
ぜひ本書でご賞味ください。

〔本書収録作品一覧〕
1964|片腕 川端康成
1964|空の怪物アグイー 大江健三郎
1965|倉敷の若旦那 司馬遼太郎
1966|おさる日記 和田誠
1967|軽石 木山捷平
1967|ベトナム姐ちゃん 野坂昭如
1968|くだんのはは 小松左京
1969|幻の百花双瞳 陳舜臣
1971|お千代 池波正太郎
1971|蟻の自由 古山高麗雄
1972|球の行方 安岡章太郎
1973|鳥たちの河口 野呂邦暢

(2022.6.30)

Y.H LeeによるPixabayからの画像

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